こんにちは。
シングルファザーで競馬投資家の優馬です!
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🔵現在は競馬だけで生活
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「有馬記念」ってどういう意味?」
「なぜ”有馬”という名前なの?」
「もしかして有馬温泉と関係があるの?」
実はこの名前には、ある人物への”追悼”の意味が込められているんです。今日はその知られざるストーリーを一緒に紐解いていきましょう!
有馬記念とは?年の瀬を彩るファン投票レース
有馬記念は、毎年12月に中山競馬場で行われるGI(ジーワン、その年最高格付けの重賞レース)です。
中央競馬の1年を締めくくる大一番として知られ、出走馬の一部がファンの投票によって選ばれるという、他のGIレースにはない珍しい仕組みを持っています。
名前の由来は「有馬頼寧」という人物
有馬頼寧ってどんな人?
有馬頼寧(ありま よりやす、1884年〜1957年)は、日本の政治家・農政学者です。
もともとは福岡県久留米を治めていた大名・久留米藩主有馬家の第15代当主という、由緒ある家柄の出身でした。
政治家としては農林大臣も務め、戦後は中央競馬会(現・JRA)の第2代理事長に就任し、競馬界の発展に力を注ぎました。
プロ野球のオールスターにヒントを得た発想
有馬頼寧は1956年、中山競馬場の新スタンド完成を機に「年末の中山競馬場で、日本ダービーに匹敵する大レースを」と発案しました。
参考にしたのは、プロ野球のオールスターゲーム。ファンの人気投票で出走馬を選ぶという、当時としては前例のない企画でした。
こうして誕生したのが「中山グランプリ」です。

「中山グランプリ」から「有馬記念」への改称
第1回中山グランプリは1956年12月23日に開催され、12頭が出走、27,801人もの観客を集める盛況ぶりでした。
ところがその興奮も冷めやらぬ1957年1月9日、有馬頼寧は急性肺炎のため急逝してしまいます。第1回開催からわずか17日後の出来事でした。
この功績を称え、同年末に開催された第2回競走から「有馬記念」へと改称されました。
| 項目 | 中山グランプリ時代 | 有馬記念(改称後) |
|---|---|---|
| 開催年 | 1956年(第1回のみ) | 1957年〜現在 |
| 由来 | プロ野球オールスターへの対抗企画 | 創設者・有馬頼寧への追悼 |
| 出走馬選出 | ファン投票(初導入) | ファン投票を継続・発展 |
「有馬」という名前から兵庫県の有馬温泉を連想する人も多いのですが、実際には無関係です。あくまで人名にちなんだレース名なんですね。
ファン投票という仕組みのその後
有馬頼寧が発案したファン投票の仕組みは、その後も形を変えながら受け継がれています。
当初は推薦方式との併用でしたが、1996年からはファン投票の得票上位馬に優先出走権を与える方式へと整理され、現在に至るまで続いています。
| 時期 | 出走馬の選出方法 |
|---|---|
| 1956年 創設時 | ファン投票を初導入(当時としては画期的) |
| 1996年 制度改革 | 推薦方式を廃止し、投票上位馬+競走成績で選出 |
| 現在 | ファン投票上位馬に優先出走権、他は成績で選出 |

有馬記念、GIへの格上げ
日本の競馬に重賞のグレード制(レースの格付け制度)が導入されたのは1984年のことです。
このとき有馬記念は、クラシック競走や天皇賞などと並ぶ最高峰のGIに格付けされました。
創設から30年近くを経て、名実ともに「年末の頂点」としての地位を確立したことになります。
まとめ
今回は有馬記念の名前の由来について振り返りました。
・「有馬」は温泉ではなく、創設者有馬頼寧その人の名前に由来する
・第1回「中山グランプリ」開催後、有馬の急逝を受けて第2回から「有馬記念」に改称された
・プロ野球のオールスターに着想を得たファン投票の仕組みは、形を変えながら現在も続いている
名前の裏側を知ると、年末のレース観戦もまた違った味わいになりそうですね。
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