こんにちは。
シングルファザーで競馬投資家の優馬です!
競馬だけで生活しながら、1人の子どもの育児をてしています!
🔵西東京出身←現在も西東京
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🔵30代の元公務員
🔵現在は競馬だけで生活
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「昔はもっとたくさん競馬場があったって本当?」
「日本ダービーって最初はどこで走ってたの?」
「消えた競馬場の跡地って今どうなってるの?」
今走っている競馬場って、だいたい顔ぶれが決まってますよね。
でも実は、戦前から戦後にかけて役目を終えて姿を消した競馬場がいくつもあるんです。
今回はその中でも特に有名な3つの「幻の競馬場」を、跡地の今の様子とあわせて紹介していきます!
そもそも「消えた競馬場」ってどういうこと?
現在、JRA(日本中央競馬会)が運営する競馬場は全国に10か所ありますが、戦前の競馬会時代にはこれ以外にも多くの競馬場が存在していました。
都市開発による移転、戦争による施設の接収など、理由はさまざまです。
現在の競馬場の多くは、実はこうした「かつての競馬場」から場所を引き継いで生まれているというのは、意外と知られていないポイントです。
ここでは代表的な3つの競馬場を見ていきます。
日本ダービー発祥の地・目黒競馬場
目黒競馬場は、現在の東京都目黒区下目黒に1907年から1933年まで存在した競馬場です。
当時はまだ「東京優駿大競走」という名前でしたが、1932年に行われた記念すべき第1回日本ダービーは、この目黒競馬場で開催されたんです。
しかし周辺の宅地化が急速に進んだことで、競馬場としての拡張が難しくなり、わずか翌年の1933年には府中町(現在の府中市)へ移転を余儀なくされました。これが現在の東京競馬場です。

ダービー発祥の地が今は閑静な住宅街になっているの、ちょっとロマンがありますよね。
目黒区には今も「元競馬場前」というバス停や、コーナーの形に沿ったカーブ道が残っているそうです。
阪神競馬場のルーツ・鳴尾競馬場
鳴尾競馬場は兵庫県西宮市(現在の武庫川女子大学附属中学校・高等学校の敷地付近)に1907年から存在した競馬場です。
太平洋戦争のさなか、1943年の春季開催を最後に海軍に接収され、戦闘機をテストするための飛行場に姿を変えてしまいました。
その後は宝塚市で仮の競馬場を経て、1949年に現在の仁川(にがわ)の地に阪神競馬場として生まれ変わっています。
用語補足:「接収」とは?
接収(せっしゅう)とは、国や軍などが施設・土地を強制的に取り上げて使用することです。
戦時中は多くの娯楽施設・民間施設がこの対象になりました。
日本初の洋式競馬場・根岸競馬場(横浜)
横浜市中区根岸にあった根岸競馬場(横浜競馬場)は、1866年に開設された日本で最初の本格的な洋式競馬場です。
明治・大正・昭和初期を通じて国際色豊かな競馬が行われていましたが、戦況の悪化にともない1942年に最後のレースが行われ、その役目を終えました。
跡地は現在「根岸森林公園」として整備され、園内には観覧席だった「旧一等馬見所」(現在のスタンドにあたる建物)の遺構や、競馬の歴史を学べる「馬の博物館」が残っています。

消えた競馬場 比較表
| 競馬場名 | 所在地 | 存在した期間 | 今はどうなった? |
|---|---|---|---|
| 目黒競馬場 | 東京都目黒区 | 1907年〜1933年 | 宅地化により東京競馬場(府中)へ移転 |
| 鳴尾競馬場 | 兵庫県西宮市 | 1907年〜1943年 | 海軍に接収、後に阪神競馬場(仁川)へ |
| 根岸競馬場 | 神奈川県横浜市 | 1866年〜1942年 | 根岸森林公園・馬の博物館として現存 |
まとめ
今回は、今はもう走っていない「幻の競馬場」を3つ紹介しました。
- 目黒競馬場は第1回日本ダービーの開催地で、宅地化により東京競馬場へ移転した
- 鳴尾競馬場は戦争で飛行場に姿を変え、後の阪神競馬場のルーツになった
- 根岸競馬場は日本初の洋式競馬場で、跡地は公園・博物館として今も残っている
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